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ソメスサドル【日本の革鞄と馬具】

2020.08.07ファッション業界へ踏み込む|社長と歩むソメスサドルの歴史#9


ヨーロッパでの展示会出展に刺激を受け、オリエントレザーの進展への決意を固めた染谷社長。

東京に戻られてから、どのように取り組まれていったのでしょうか。

はい、早速業界への営業活動に乗り込みました。

馬具職人の作る鞄

ファッション性の探求

鞄職人

ヨーロッパの皮革製品の本場をめぐり、世界の一流の技術を目の当たりにして、オリエントレザーの目指すべきものはまさにこれだと確信をしました。私たちの技術の未熟さも実感し、更なる努力が必要だということも理解できました。

しかし、優れた馬具を作れたとしても、今後馬具だけで生き残っていくには市場があまりに小さいのが現状。会社の安定した経営のためにも一般皮革製品の世界へ踏み込むことが私の中で第一の課題でした。

 

ここでも今までの営業経験を活かし、今度は東京の一流ブランドへ手当たり次第に営業を行いました。
商品企画やデザインに携わる部署へ、商品の制作に携わらせてもらえないか、というお願いです。

 

しかしどこも門前払い。営業どころか、話さえもなかなか聞いてはもらえませんでした。

営業に持ち歩いたのは馬具職人達が作った鞄。馬具に使う分厚く丈夫な革を使い、馬具づくり仕様の頑丈な縫製で作った、どこまでも堅牢に作られた鞄です。

その通り「武骨で重い」と言われ、それこそオリエントレザーらしさであると伝えましたが受け入れてはもらえませんでした。

私たちが得意とする機能性と堅牢性を求められる馬具=道具を作る世界と、デザイン性を求めるファッションの世界との違いと厳しさを痛感しました。

それでもここで諦めてはいけない、なんとか喰らい付いてやろうと必死でした。

 

営業を繰り返すうち、興味を持って話を聞いてくれる方が増えてきました。時にはクリエイターの方々とお話できる機会もあり、「ここはこうした方が良いね」と製品についてアドバイスをいただけることもあったんです。

そこからアドバイスを参考に改良してはまた伺って見てもらう、の繰り返しが続きました。

厳しい一流ファッション業界、全く相手にされなかったことを考えるとありがたいことです。

少しづつですが接点が増えていく実感があり、それが少なからず私の自信にもなりました。

馬具職人を説得

ファッション業界の拡大へ、会社の生き残りにかけても馬具と一般革製品の比重を50:50までにする必要がありました。

北海道の本社へ戻り、営業の体験も含めその旨を提案し、社長の兄をはじめ上層には納得してもらえたものの、予想外に抵抗があったのが他ならぬ職人たちでした。

 

伝統的な馬具の制作スタイルは、職人が床に座り股の上に製品を乗せて作業をします。手の届くところに道具を置いて1人であらゆる工程をこなして作り上げるのです。

一方、鞄などの一般革製品は工程が細かく分かれているため、作業台の上にパーツや道具を置いて立って作業をします。座っての作業では効率が上がりません。

 

制作スタイルが全く異なる両者。座って作業をしていた馬具職人に、今度は立って仕事をしてくださいとお願いするのです。職人の世界は保守的ですから、外から何かを変えようとする動きに対しては抵抗があって当然です。

それでも私と兄とで「このままだと会社の明日はない」と何度も説得を繰り返し、なんとか全員に理解を得ることができました。

最終的に職人全員が立って作業をするようになるまでに、3年かかりました。

 

実は、百貨店で正式に口座を開設できたころ、女性向けに小さなポシェットを作りました。それがたまたま女性誌に取り上げられ、展開していた馬具売り場に若い女性が殺到するということがあったんです。

制作していたのはもちろん馬具職人たちでしたが、そのときも職人たちは浮かれることなく「自分たちは馬具を作り続ける」という姿勢を崩しませんでした。それでも説得に納得してくれた職人達からは制作に対して「もっといい方法があるのでは?」という意見をもらえるようになったのは嬉しくもあり、抵抗をしていた過去を思うと不思議でもありました。

 

それから私はまた東京で営業活動を続け、職人たちがつくった商品の評価や意見をどんどん本社へフィードバックするようにしました。

ありがとうございます。

社長の想う会社のスタイルへ、その土台が形になりはじめました。

次回もファッション業界の進出へ、その歴史を伺ってゆきます。

ソメスサドルの歴史

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