製造の拡大へ|社長と歩むソメスサドルの歴史#10

ファッション業界への営業と、展開へ向け本社工場の体制転換に乗り出した染谷社長。その後順調に進んだのでしょうか?

それがなかなか、スムーズにはいかない時代でした。

ファッション用品と道具の両立

一流ブランドにこだわる

ファッション業界への事業展開を目指して本社工場の態勢の転換にまで取り掛かりましたが、実際の割合としてはまだまだ微々たるもので、私は変わらず一流ブランドへの営業を続けました。『世界の一流に並ぶ』ことが会社としての目標でしたから、業界の中でも好んで一流ブランドを選んでいました。

少しづつお話を聞いてもらえる機会は増えていたものの、それでも断られ酷評されてがほとんどの日々。会社のために早急に売上を獲得することを考えれば、私たちの技術に見合った、現実可能な道を選択することも出来たかもしれません。ただ営業として、厳しい業界の中で『自社の製品を否定され断られるなら、一流にバッサリとそうされた方が良い』とある種負けず嫌いとも言える私の気持ちもあったように思います。

「やるしかない!」と製造を拡大

とはいえ、会社は未だ苦しい状況の中。頑なに一流ブランドでの獲得を待ってばかりはいられません。

業界にこだわらず、とにかく革に関係する製造に携わらせてもらえないかと営業の範囲を広げ、カジュアルベルトやタバコケースなど、ファッション向きの革小物のお仕事をいただくことができました。

もちろん、一流ブランドへの営業も変わらず続けましたよ。

 

一方、北海道歌志内の本社でも、代理店を通じて依頼をいただけるようになり、工具差しや電工バンド、ホルスター、さらにはスキーストックと、道具として使われるものが多く、とはいえ多様な製造に携わることになりました。道具として丈夫さを求められる物の製造は、馬具に携わる私たちにとっては得意分野です。馬具製造のしっかりとした縫製技術と、丈夫で厚い馬具用の革を持ち合わせていましたから、電工バンドやホルスターにはまさに最適でした。

スキーストックは革とは関係ないと思われるかもしれませんが、当時のストックは本体が竹で作られていて、グリップとリング部分に革が使われていましたので、仕入れた竹をカットして、職人が革を貼って編んでと仕上げたものです。

 

馬具と、ファッション用品に加え新しく加わった革製品。

私たちは今でこそ馬具とファッション用品で班を分けた生産態勢をとっていますが、当時は全員が馬具職人。班分けももちろんありません。きた仕事を、その時に手の空いている職人で携わるという態勢でした。特に年度末に納期が決められているものが多く、不良品や材料の納品遅れがあったりなどでいつも納期はぎりぎりの状態。なんとか納期に間に合わせようと、寝ずに作業にあたる職人がいたほどです。

ただ私たちとしては「やるしかない!」と、いただける仕事はとにかく受けようと必死でした。

ありがとうございました。

幅広く製造にあたるようになり本社工場も活気付いてきました。さらに拡大してゆくオリエントレザーの歴史を追います。