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ソメスサドル【日本の革鞄と馬具】

2020.07.31 ブログ

本物に出会う|社長と歩むソメスサドルの歴史#8

百貨店・そしてドイツでの展示会出展を決めたオリエントレザー。

今回はそのヨーロッパでの体験についてお伺いします。

わかりました。

ヨーロッパでの経験は私の価値観もかえる大きな出来事でした。

馬具の本場へ

ひとりヨーロッパ出張

ドイツ展示会の様子

▲ドイツ/フランクフルトで開催された展示会ブースに並ぶオリエントレザーの馬具と染谷社長

ドイツで開かれる展示会。過去アメリカへ輸出の実績があったオリエントレザーは運良く選ばれ、会社を代表して私がひとり出展に立つことになりました。

 

馬具の本場ドイツで自社の馬具を展示する1週間でしたが、淡い期待を抱きつつもその結果は散々なものでした。

初日、男性がブースに来られれて馬具を手にとってくださって「これは原価いくらかかっているんですか」と聞かれたので、正直な数字を答えると「うちの原価と同じか」とあきれた顔を浮かべられてしまったんです。

後から聞いて知りましたが、ドイツでもトップを誇る馬具メーカーの役員の方だったそうです。

同じ原価で製品の質が全く違う、開始早々世界との差を思い知らされ、惨めな思いを味わいながらもなんとか過ごした1週間でした

世界を目指す

ドイツ展示会の様子02

展示会では、1週間の会期を終えた後にヨーロッパの各国を視察するツアーが数日組まれていました。本来であれば、同じく出展をされた方々と共にツアーを回らなければいけないところを、私は主催の方になんとか頼み込んで特別に単独行動をする許しをいただきました。

ヨーロッパは革の製造技術においては本場です。なんとかこの機会にこの目で本物を見たかった。

各地の革に関係する箇所を調べあげ、皮革製品の生産地での展示会、世界のファッション業界でも名高い企業、王室御用達のメーカーなど、視察のコースに沿いつつひとり渡り歩きました。英語はもちろんヨーロッパ各地の言語も出来ませんから、各地への移動も必死でしたよ。目的地の名称ひとつを片言で何とか伝えて電車やバス、タクシーを乗り継ぎました。

 

中でも刺激を受けたのが、パリにあるエルメス本店です。

 

エルメスといえば革製品ブランドの最高峰。元々は馬具工房として創業し、現在も馬具の製造を続けながら鞄・財布など革製品を手がけています。世界を代表する高級ブランド街にあり、特別に目立つこともなく周囲と同化したヨーロッパの街並みの中の1軒で、本店は5階建てで2階までがショップになっていて、鞄・財布はもちろん、馬具の販売も展開されています。

 

入店してみると、その雰囲気は外観とは圧倒的に異なるものでした。

高級ブランド店に日本人の若者が1人で入店してきたわけですから、初めはスタッフの方に厳しい視線を向けられましたよ。それでも商品を見たいという想いが勝っていましたし、知人に頼まれた馬具を購入したいという目的もありましたから、馬具をひとつ購入し、続けて店内を見ているところで上階に上がる階段をひとつ見つけました。

手前には看板が立てられ一般客は立ち入れないようになっていましたが、見つけた私は衝動を抑えられず、看板のフランス語が読めないことを言い訳にしてこっそりと上の階も見て回ったんです。ショップの上階はミュージアムのようになっていて、馬具や年代もののバッグが並んでいたのですが、そのひとつひとつの繊細な技術と美しさに圧倒されてしまいました。

まさに本場の「本物」がありました。

 

その後ガードマンに見つかり投げ出されるように店を出ましたが、エルメスの訪問を経て私の価値観は間違いなく変わっていました。

 

馬具製造を続けつつも、その技術を活かした革製品メーカーとして展開してゆこう、世界の「本物」に並ぶメーカーを目指そうという決意が固まりました。

ありがとうございます。

国内の販路拡大もそこそこに、突然のヨーロッパ出張。急展開でしたが新たな段階に向け進んでゆく社長の体験を伺ってゆきます。

ソメスサドルの歴史

2020.07.17 ブログ

一流に挑む|社長と歩むソメスサドルの歴史#7

前回、東京の営業で訪れた、ウエスタンバーでの体験について伺いました。

鞄の制作にも至ったそうですが、その後の制作や販路展開に変化はあったのでしょうか。

はい。

更なる販路展開に乗り出しました。

一流店舗進出へ

百貨店の口座開設


 

ウエスタンバーでの交流のおかげで、オリエントレザーとしては鞄第1号となる、サドルバッグが誕生しました。

試作の段階で大変好評をいただき、バーの常連さんを中心に多くの注文をいただいたことは大変嬉しいことでした。馬具にはじまり、小物の制作から鞄を制作出来るにまで至れたことは自信にも繋がり、東京で営業活動をする私としては、次は一流のブランドや企業にも営業をかけてみようかという想いが徐々に湧いてきたんです。

 

そして、まずはと向かったのが新宿のある百貨店。

現在でも馬具を取扱っている日本でも稀な百貨店です。当時は1階のフロアに広々と展開されていました。ただ来たは良いものの、営業のアポももちろん取っていませんし、どこへどう売り込んで良いかもわからず、ただただ遠くから売り場を眺めるしか出来ませんでした。

そんな時、偶然の出会いがありました。スキーの現役時代によくお世話になっていたスポーツ店の息子さんが、偶然に私の目の前を通ったんです。

馬具の営業のためにこの場に来たという経緯を話すと、なんと「うちで取引があるから、バイヤーを紹介するよ」と言ってくださいました。

 

バイヤーさんを紹介いただき商品を持ち込んでみましたが、国内での実績も乏しかったからでしょうか、その場での口座の開設には至りませんでした。

ただ、ありがたくも仲介いただいたスポーツ店の口座を借りて、商品を置かせていただけることになり、1年半の販売を経て正式に口座を開設させていただけることになりました。

会社にとっては百貨店の口座開設第1号、それはとても嬉しかったです。偶然というより、まさに奇跡ともいえる出会いからの急展開でした。

馬具の本場ヨーロッパへ

百貨店進出に次いで、また新たなチャンスが訪れます。

北海道庁が道内の輸出企業を対象に、ドイツで開催される展示会の出展を募っているとのこと。海外の輸出はストップしていましたが、過去に実績があるので審査に通るのではないかということで本社から連絡をもらったのです。

以前お話しもしましたが、創業当時はアメリカへ向け馬具の輸出事業を主にしていましたので、わずかでも可能性に賭け応募したところ、これが運良く選ばれました。

 

ヨーロッパといえば乗馬大国、特にドイツは馬具の制作技術にかけて世界のトップを誇るまさに本場です。
当時会社は乗馬クラブのオーナーにダメ出しをいただきながら試行錯誤で鞍の制作をしている最中で、本場での反応に不安はあったものの、JETRO(日本貿易振興機構)が主導の展示会だったので少なからず受け入れてもらえるのでは、という淡い期待はありました。

当時私が26歳。会社を代表して1人出展に立つことになりました。

 

ありがとうございます。

次々と新たなチャンスが舞い込んで、挑んでゆく染谷社長。

次回はドイツでの展示会での体験について伺います。

 

ソメスサドルの歴史

2020.07.13 ブログ

社長と歩むソメスサドルの歴史まとめ

ソメスサドルの歴史

第1話

創業の背景

ソメスサドルの歴史を語る社長

北海道の砂川市を拠点に、創業50年以上の歴史をもつソメスサドル。

その前身である「オリエントレザー株式会社」創業の背景と、革を扱うようになったきっかけを現社長の染谷社長にお話いただきました。

第2話

苦境から転換へ

歌志内工場

馬具の製造・輸出業者としてはじまったソメスサドルの前身「オリエントレザー株式会社」。

創業して数年、順風満帆かと思いきや、ある出来事をきっかけに会社存続に関わる危機に立たされてしまいます。

第3話

全国の販路開拓

ソメスサドルの歴史を語る社長

輸出業が立ち行かなくなり、危機に立たされたオリエントレザー株式会社。

再建をかけ、事業の対象を海外から国内へと転換してゆきます。また大学卒業を機に、染谷社長がオリエントレザーへの入社を決意したきっかけとは…。

第4話

乗馬クラブとの出会い

エクサー82

オリエントレザー株式会社へ入社し、ひとり東京で営業活動を行うことを決めた染谷社長。

販路獲得のため全国を駆け回っていた時、ある乗馬クラブと出会い、初対面にも関わらずオーナーからある提案を受けます。

第5話

新商品の開発

本革コースター

馬具の営業が苦しくなんとか売上向上をと苦悩していた、当時まだ社員だった染谷社長。

ふと思いついたアイディアから、新商品の開発、そして新たな営業活動がはじまります。

第6話

カバン第一号の誕生

サドルバッグ

新商品を手に、東京の繁華街で営業活動を続ける染谷社長。

自身も”貴重な出会い”と語るあるバーへの営業をきかっけに、少しづつ販路が拡大してゆきます。

さらにソメスのカバン第1号誕生へ…。

第7話

一流に挑む

歌志内工場

カバン第一号の制作までに至り、さらなる営業活動に乗り出そうと思い立った染谷社長。自社の商品片手に向かった先とは…。

さらに海外進出のチャンスも…。

第8話

本物に出会う

ドイツ展示会の様子

海外の展示会出展へヨーロッパに飛んだ染谷社長。皮革製造の本場での現地の反応は…。

そして社長がある決意を固めるきっかけになった体験とは…。

2020.07.10 ブログ

カバン第一号の誕生|社長と歩むソメスサドルの歴史#6

馬具以外の一般革製品の開発がきっかけで、バーや喫茶店など馬具と異なる営業が始まった前回。

その中で、新たな出会いもあったそうですが、詳しく教えていただけますか。

わかりました。

この時期の営業の中でも、特に刺激を受けた経験でした。

ウエスタンの世界へ

ウエスタンバーとの出会い

サドルバッグ

東京の繁華街での営業。本革コースターと革巻きの灰皿を片手に「馬」に関連した名前の看板を掲げるお店を巡っていましたが、その中でまた特別な出会いがありました。

新宿二丁目を巡っていた時に見つけた1件のバー。店内に入ってみると、店内の内装はもちろん、お店の方、そしてお客さんが皆テンガロンハットや、派手なブーツやウエスタンの衣装を身に纏った、ウエスタン好きが集まるバーでした。

 

アメリカの「カントリーウエスタン」が流行っていた当時。カントリーミュージックに刺激され、ミュージシャンを中心に、ウエスタンに憧れる方がとても多かったんです。ウエスタンスタイルで店内でカントリーミュージックを演奏し、歌い、バーボンウィスキーを飲むお客さんの姿、これがとても格好良かった。私もこの世界に惹かれてしまいました。

お話すると、お店のオーナーさんが北海道出身だったことで意気投合し、私もすぐに常連になりました。

 

そこから、バーに通う日々が続きました。もちろん他の常連さんと同じく、私もウエスタンスタイルです。

ウエスタン好きの集まる場ですから、馬好き、乗馬好きもたくさんいました。中には有名な歌手の方もいらっしゃったんですよ。馬付きが高じて、常連仲間と共同で馬を所有されていて、毎週のように山梨県にある乗馬クラブに通って乗馬を楽しんでいたんです。

 

私もそれに誘われて何度かご一緒したのですが、夜はバーで朝までバーボンを飲み、ウエスタンスタイルそのままで特急列車で山梨へ、乗馬を終え東京へ戻るとまたバーへ…。

なかなか過酷でしょう。乗馬については埼玉の乗馬クラブで乗馬の経験がありましたから、少なからず乗れる自信はあったものの、お酒が抜けず酔っ払いでの乗馬で落馬の連続でした。

サドルバッグの誕生

ウエスタンバーに通ううち、常連さんから、

「馬具を作っているなら、サドルバッグを作れない?」と提案を受けました。

今ではバイクや自転車の後部につけるバッグもサドルバッグといいますが、乗馬においては鞍(サドル)に装着する鞄のことをいいます。オリエントレザーとして、鞄をつくったのもこれが初めて。見本をもとに試作してみたところ、皆さんに大変喜んでもらえました。

実際にそのサドルバッグを持って山梨で乗馬もしたのですが、大きなサドルバッグを肩に掛けて向かう後ろ姿は、見ていてとても感慨深いものがありました。

 

常連の方をはじめバーに来る方へ私の会社の話をすると、興味を持っていただける方も沢山いました。「知り合いの乗馬クラブが…」「デザイナーが…」「うちの会社が…」と紹介していただけたり、商品開発についてアドバイスをいただいたりと人脈や世界がどんどんと広がっていったのです。

 

バーでの出会いがきっかけで、現在でもソメスサドルとしてお付き合いのある会社もありますし、仕事に関わらず親しくさせていただいている方もいます。このバーでの日々は、本当に貴重な出会いであり、経験をさせていただいたなと思います。

ありがとうございました。

乗馬クラブやウエスタンバーなど、営業で伺う先々での出会いがオリエントレザーの前進に深く関わっているんですね。

次回もオリエントレザーの更なる発展について伺ってゆきます。

ソメスサドルの歴史

2020.07.08 ブログ

なめし(鞣し)とは|革の魅力と特徴

なめしとは

なめし(鞣し)とは

私たちソメスサドルが日々製造している革製品。その素材である「革」が、「皮から革」へ「鞣し(なめし)」という加工技術によって変化します。

鞣すことによって、革の原料である原皮(げんぴ)の主成分であるコラーゲンに耐熱性、耐腐敗性、柔軟性などを付与します。
これによって皮は丈夫で長く使える革へと変わります。

ソメスサドルでは世界中で鞣された革を使用していますが、革の鞣し業者は国内にも数多くあります。また、鞣し職人たちは「タンナー」と呼ばれます。

なめしの加工は大きく分けて3種類あり、「タンニンなめし」、「クロムなめし」、その両方の特性を持つ「コンビネーションなめし」があります。

タンニンなめしとは

タンニンなめしは古代エジプト時代より行われている、なめし加工では最も古い製法です。

タンニンなめしの「タンニン」とはお茶や赤ワインなどを飲むと感じる「渋み」の成分です。また国内のタンニンなめしにはミモザの木のタンニンを鞣し剤として使用されています。

レザーのもとである原皮をタンニンに漬け込むことで、原皮のタンパク質に反応し、皮から革に変化します。タンニンなめしは非常に手間と時間がかかり、鞣しに数か月を要することが多くあります。

タンニンなめしによって仕上がった革は、しっかりとした質感で丈夫です。また自然素材のため革本来の雰囲気を感じることができ、革の個性とエイジングも楽しめます。

クロムなめしとは

クロムなめしは、タンニンなめしと比べて歴史が浅く(100年程度)新しい加工技術です。
クロム鞣し剤と呼ばれるクロム化合物を、ドラムに投入し皮に浸透させます。浸透に要する時間は一日程度で、早く大量に革を作ることができます。

クロムなめしで鞣された革は、タンニンなめしと比較して柔らかく伸縮性に優れています。
着色や加工もしやすく、多くの革製品に使用されています。

コンビネーションなめしとは

タンニンなめしとクロムなめしの両工程を使うことで、各加工の欠点を補い、様々な特性を付与させることができる、ハイブリットな鞣し加工です。

ソメスサドルの例だと、クロムなめし革に独特のコシ感を出すために、染色の途中でタンニンを入るなどして鞣された革を使用したりしています。

2020.07.03 ブログ

ソメスサドルの原点|社長と歩むソメスサドルの歴史#5

前回、乗馬クラブとの出会いについてお話を伺いました。
今回も、東京での営業体験について、引き続きお話いただけますか?

わかりました。

ここからはオリエントレザーが再び、前進をはじめます。

新商品の開発

乗馬クラブから繁華街へ

乗馬クラブの居候生活を終え、再び首都圏を中心に乗馬クラブや牧場など営業に駆け回りましたが、馬具の売上は変わらず微々たるもの。会社のため、そしてオリエントレザー社員の生活を守るためにも、早急に売上を立てる必要がありました。

私自身の生活も苦しくなる一方で、なんとか打開策はないかと頭を巡らせたのです。

 

ある時、歌志内の工場に使われず散らばっていた革の端切れをみてふと思いつきました。

この端切れで「コースター」を作ってはどうか。

私の「もったいない精神」も働いてのひらめきとでも言いましょうか、端切れはどれもグラスを置くに十分なサイズでした。職人さんに頼んで革を綺麗な円形に裁断してもらい、その上から名前を刻印したシンプルなコースターです。更に革を巻いたガラスの灰皿も併せて作ってもらいました。

本革のコースター

本革のコースターと、本革巻きのガラス灰皿。

馬具以外に作った一般革製品の第一号です。

今やバッグや小物など馬具以外の商品を数多く扱うソメスサドルにとっての、これがその原点と言えるでしょう。

私自身にとっても、新商品開発に関わった初めての商品でした。

 

初めての馬具以外の商品。やり方は馬具の営業として動きはじめた頃とほとんど変わりません。

コースター、灰皿となると、向かうは繁華街です。新宿、渋谷、銀座を歩いて「馬」や「HORSE」など馬に関連していそうな名前の看板を探し、バーや居酒屋、レストラン、喫茶店など、とにかく商品を使っていただけそうなお店を訪ね、コースターと灰皿を見てもらいました。

考えるよりもまず行動。必死ではありましたが、「馬に関わる名前をつけている店なら、馬具の営業マンが営業で訪ねてきたら、むしろ面白がって買ってくれるのではないか」という、そのぐらいのノリだったんです。

 

「馬に関連する」と一口に言っても様々なお店がありました。

お店の方をはじめ、お店の常連さんやお客さんとの出会い、さらにそのお知り合いのお店を紹介いただいた先へまた営業と、どんどんと世界が広がっていったんです。私にとっても行く先々での出会いで多くの刺激を受けました。

結果、新商品のコースター灰皿セットは、思いのほか好評でよく売れました。

女性向け商品の誕生

セット商品の営業が好スタートを切った当時、1970年代は観光乗馬がブームでした。

小岩井牧場をはじめ有名な牧場は、レジャースポットとして多くの観光客で溢れていたんです。観光客が訪れる施設となると、みやげ物店を併設する牧場が多く、牧場名のはいったキーホルダーなどを販売していました。これがよく売れていたんですよ。

 

さらに同時期は「アンノン族」といって、若い女性が女性誌のアンアンやノンノを片手に一人旅をするスタイルが流行していたこともあり、若い女性向けの商品を作れば売れるのではとひらめきました。

キーケース、コインケース、キーホルダーなどに、コースター同様牧場の名前を入れ、牧場へ提案したところこちらも好評でした。まとまった数で注文をいただくことも少なくなく、さらに小物となれば切れ端サイズでは間に合いませんから、新たに一枚革から裁断し作ることも増えてきました。

 

繁華街での営業がきっかけで牧場や乗馬クラブを紹介いただけることもあり、新たに商品を置いていただける箇所も増えていました。中にはよく親しくしていただけるオーナーさんもいて、商品の営業に留まらず、お土産物の売り場を一緒に作るといったこともありました。

さらに牧場であれば馬具も売り込めますから、とても効率よく営業が出来たんです。

苦境だったオリエントレザーに、少しずつ追い風が吹きはじめていました。

ありがとうございました。

オリエントレザーの馬具以外の新商品開発を機に、再び盛り上がりはじめてきましたね。

次回も前進する社長の体験を追ってゆきます。

ソメスサドルの歴史

2020.06.30 ブログ

乗馬クラブとの出会い|社長と歩むソメスサドルの歴史 #4

「オリエント商事東京出張所」として営業活動をスタートさせた染谷社長、営業先で居候生活をすることになったそうですが、居候先での出来事をお話いただけますでしょうか。

わかりました。

私にとってこの乗馬クラブとの出会いは、とても貴重な体験でした。

乗馬クラブとの出会い

馬具営業から突然の居候生活

ソメスサドル鞍

営業で訪れたオーナーの提案を受け、半年間乗馬クラブで居候生活をはじめることになりました。

今思えば、突然訪ねてきた初対面の営業マンに対して、よくこのような提案をしてくれたなと思います。私も馬の知識も殆ど無く営業にのり出し、馬のことをもっと知りたいと思い始めていたので、まさに絶好のタイミングでした。

 

居候といっても住むところはクラブの場内に置かれた使われていないキャンピングカー、食事はオーナーの自宅でお世話になりました。キャンピングカーでの生活は住み悪い、と思われるかもしれませんが、学生時代のスキー競技生活で培った体力もありましたし、スキー合宿で寝泊まりしていた山小屋に比べれば、スイートルーム同然です。

それまで各地を飛び回っていた馬具営業も一旦取りやめ、朝早くから夜まで馬の世話や馬具の管理など、日々乗馬クラブの厩舎作業に明け暮れました。

自社の鞍ではじめての乗馬

厩舎作業の日々を続けるうち、合間にオーナーから乗馬の訓練もつけてもらえるようになりました。

 

私の人生初めての乗馬です。

 

乗馬では乗馬時の重心のとり方や姿勢のポイントがいくつかあり、乗りはじめてから上手に乗りこなすまでにはなかなか苦労するといいます。私自身、バランス感覚と運動神経には自信がありましたから、初めてでもすぐに乗りこなせるだろうと安易に思っていましたが、結果それはまったく役に立たず落馬の連続でした。

それでも何度も訓練を重ね、少しだけ乗れるようになってきたある日に、オーナーのもとに自社の鞍を持参したんです。鞍を見てもらい、意見を聞こうと思っていましたが、「まず自分で乗ってみて」と言われました。自社の鞍に乗ったのも、これが初めてです。

やっと乗れたとなると「次はこの鞍で」「今度はこの鞍で」とオーナーから意見をもらう間も無く、次々と鞍を交換して乗り比べを続けましたが、意見をもらうまでもなく、その差は素人の私でもすぐにわかりました。

いくつも鞍に乗せてもらう中でそれぞれ個性や違いは体感しましたが、自社の鞍は“それ以前“のレベル。

とにかく乗りづらくて、お尻が痛かったのです。

 

自社の鞍の欠点を身をもって実感し、すぐさま工場へ報告をと思いました。しかし改善するにあたって工場へ説明しようにも、どう説明すれば良いものかと悩んでいると、オーナーが「これを参考に」と鞍を一背差し出してくれたのです。ドイツ製のシンプルな作りの鞍で、かつ日本人が乗りやすい鞍を選んでくれました。

鞍づくりのレベルアップへ

オーナーからお借りした鞍を手にすぐさま北海道へ戻り、工場でも腕の立つ職人さんに「これを参考に新たに鞍を作ってくれ」とお願いしました。現物さえあれば、技術の高い職人なら真似て相応のものを作れるだろうと思ったのです。

鞍を骨組みからすべて分解すると、自社の鞍とは骨組みからも造りが異なっていたことがわかりました。各部を細部まで研究し、新しく作った鞍を再び乗馬クラブのオーナーに見てもらいましたが、オーナーの意見は「まだまだ」。一般の観光客向けの堅牢性の高い鞍として十分なものは作れたものの、オーナーの求める“競技用の鞍”としてはまだ不十分だったのです。

 

それからもオーナーの意見をもらい、工場で作る、という試行錯誤の日々が続きました。

北海道と乗馬クラブを何度往復したかわかりません。職人達もこの期間を経て着実に腕を上げていたと思います。

 

最終的に、オーナーが納得のいく鞍を作れるようになるまで10年かかりました。

 

ありがとうございました。

初めての乗馬体験や厩舎作業、さらに鞍の改良までにつながるとは、社長にとっても会社にとっても大きな出会いだったのですね。

次回からも、馬具営業として前進してゆく社長の体験を追ってゆきます。

ソメスサドルの歴史

2020.06.25 ブログ

全国の販路開拓|社長と歩むソメスサドルの歴史 #3

前回、オリエントレザー株式会社苦悩の時代と、社長の入社までをお話しいただきました。

では、引き続き今回もよろしくおねがいします。

わかりました。

ここからは私の入社後の体験についてお話ししましょう。

全国の販路開拓

オリエントレザー東京出張所の開設

ソメスサドルの歴史を語る染谷社長

父の社長就任と会社の苦境、自身の東京での大学生活の経験も重なって、大学卒業後はオリエントレザー株式会社への入社を決意しました。北海道の歌志内市にある本社へは戻らず東京に残り、東京をはじめ全国の販路開拓のため営業活動を進めることにしたのです。

歌志内市へ戻る選択肢もあったかと思います。ただ、今後の会社にとっても「東京は重要な拠点になるだろう」と思いました。また私は末っ子で、家族や兄弟に甘える術を知っていたんです。故郷に戻ることでは自身の成長や地域への貢献にも繋がらないと強く自分に言い聞かせ、自分ひとりの足で販路開拓に乗り出しました。

まずは大学卒業後、1年間東京の別会社で働きながら、車の免許も取得し、1976年から「オリエント商事東京出張所」としての本格的に動きはじめました。

馬具営業で全国へ

東京出張所のスタート。表向き「東京出張所」という立派な名前はありましたが、社員はもちろん私一人、事務所は私の住むアパートです。歌志内の本社から届く商品も、私の部屋のみでは入りきらず、当時親しくしていたお寺の本堂に置かせてもらっていました。

手元にあるのは会社の商品(馬具)と、車と運転免許、そして体力のみ。

もとより海外輸出のみの会社でしたから、国内の営業先のアテもなく、私自身馬具・革に関する知識もなく、まさにゼロからのスタート。しかし会社も早急に売り上げを立てなければならず、とにかくまずは動き出すしかありませんでした。

車に商品を積み込み、「馬がいそうなところ」をキーワードにして、地図を片手に競馬場、乗馬クラブ、大学の馬術部などを巡りました。まさに日銭稼ぎ。売れたお金で食いつなぎ、売上が20〜30万円溜まったら本社へ送金する、という日々でした。

乗馬クラブで居候生活

全国を営業で回る中、ある乗馬クラブとの大きな出会いがありました。

埼玉県入間市にあった「筑波ランディングパーク・インターナショナル」。現在は栃木県日光市に移転し、保有する馬は100頭前後という大規模な乗馬クラブです。大規模クラブゆえ、世界の一流の鞍がずらっと並んでいて、「これは良いところに巡り会えた」と

乗馬クラブのオーナーとはじめてお会いしてお話をする中で、

「馬具のことを勉強したいなら、うちで居候したらどうだ」と提案されたのです。

馬具の営業として動き出したものの、先に話した通り馬具の知識も乏しく、馬に触ったことも、乗馬をしたこともありませんでした。

突然ながらも私はオーナーの提案を受け、実際に半年間乗馬クラブで居候生活を送ることに決めたのです。

ありがとうございました。まさにゼロからのスタートだったのですね。

乗馬クラブでの居候生活を決めた染谷社長、次回も営業を通じて乗馬や馬の世界により深く関わっていく社長の歩みについてお話いただきます。

ソメスサドルの歴史

2020.06.18 ブログ

苦境から転換へ|社長と歩むソメスサドルの歴史 #2

前回、ソメスサドルの前身である「オリエントレザー株式会社の創業の背景」についてお話しいただきました。

今回は社長に、創業以降の同社の歩みについてお伺いします。

ソメスサドル「最初の転換期」

ニクソンショック・オイルショック

ソメスサドル歌志内工場

前回お話ししたとおり、ソメスサドルの前身「オリエントレザー株式会社」は、アメリカへの馬具製造・輸出業者としてはじまりました。
1964年の創業以降、輸出事業は順調だったと聞いています。
 

そんな順風満帆なスタートから、1970年代に入り、世界的なある出来事が起こります。
 
1971年「ニクソンショック」、そして1973年「第一次オイルショック」。
世界的大規模な為替変動で、1ドル360円で固定されていた為替が変動相場制に変わり、一気に200円台まで変動したのです。
 
輸出企業にとってこの変化による影響は大きなもので、先にも話した通り、アメリカへの輸出業を100%としていた「オリエントレザー株式会社」も大きな打撃を受けました。
 
創業から約10年、ソメスサドル「最初の転換期」と言えるでしょう。

オリエントレザー株式会社の再建-海外から国内へ

為替変動により、輸出事業が成り立たない状況。
債権者の商社も何とか存続させなければならないとする中で、新たな社長として目を向けられたのが、当時、歌志内市の市議会議長を務めていた私の父でした。
 
父はオリエントレザー創業に関わった中心的な一人であったこともあり、債権者からも白羽の矢が立ったのです。
父はこれを引き受け、オリエントレザー3代目社長として、多額の負債を抱えスタートすることとなりました。
 
輸出事業が困難な状況の為、事業の対象を海外から国内へ転換する必要がありました。
とはいえ国内での販売実績はなく、まずは販売先獲得のため北海道内の牧場や、馬具に関連する企業などへ営業に回ったそうです。
 
製造する馬具も、アメリカ向けのレジャーとしての乗馬用馬具から、競馬関連や牧場で使用する馬具へと変わりました。

オリエントレザーが苦境からの再スタートを図る最中、私は東京の大学へ進学し、スキー部で選手として競技生活に打ち込んでいました。
4年生になり進路を決めかねていた折、父が社長に就き、会社の話を聞いたのです。
 
私は4年間スキー部で競技生活を送る中で大きな事故に2度遭遇しました。私の人生の中でも本当に大きな出来事です。
この経験もあり、父から話を聞いた時、「大好きな郷里に対して何か役に立ちたい、役に立てるようになりたい」という強い想いに駆られ、卒業後東京に残り「東京営業所」を構え、オリエントレザーの馬具営業として動くことを決めたのです。
 

ありがとうございました。

社長がソメスサドルの一員となったのは、大学生活の経験や会社の大きな転換期の中での決断だったんですね。

次回はいよいよ染谷社長の「オリエントレザー株式会社」入社後の経験や出来事について伺ってゆきます。

ソメスサドルの歴史

2020.06.17 ブログ

ヌメ革とは|革の魅力と特徴

ヌメ革とは

ヌメ革とは

ヌメ革とは植物由来の成分であるタンニンを使用し鞣(なめ)された皮革のことです。

厳密にはピット層鞣しと呼ばれる工程で、タンニン鞣しをした革です。
しかしピット層を使った鞣し工程をもつタンナー(鞣し業者)は国内では数少なくなり、ピット層とは違った工程(ドラム式など)で従来のヌメ革を再現するようになっています。

数十年前までは一般的だった「ヌメ革」も時代とともに、作り方と意味合いが変わってきました。そのため「ヌメ革」という呼称は、現代ではあいまいな表現になっています。

タンニン鞣し(なめし)とは

タンニン鞣しされた革を「ヌメ革」と呼びますが、タンニンとはお茶や赤ワインなどを飲むと感じる「渋み」の成分です。
国内のタンニン鞣しにはミモザの木のタンニンを鞣し剤として使用されています。

レザーのもとである原皮をタンニンに漬け込むことで、原皮のタンパク質に反応し、皮から革に変化します。

ヌメ革の特徴

自然素材

ヌメ革は、原料の革は当然のこと鞣しに使う原料もすべて自然のものでできているため、自然環境にも人にも優しい革です。
また自然素材であることから、革本来の温かみのある雰囲気と魅力を感じさせます。

しっかりとした質感で丈夫

時間をかけてじっくりと鞣されるヌメ革は、革の繊維が締まっているので丈夫で切れにくい特徴があります。
使っていくうちに繊維もほぐれて柔らかくなってきますが、そのときに持ち主の手に馴染んだ形になっていくのも、ヌメ革の大きな魅力です。

革の個性とエイジングが楽しめる

ヌメ革は革そのものなので、動物についた傷やシワ、血管のあとが目立っていることもあります。しかしこれもヌメ革の個性で、この世に同じものは2つとない自分だけの革です。

またエイジング(経年変化)を楽しめるのもヌメ革の大きな特徴です。使っていくうちに手の脂や熱、太陽の光などの環境で革の表情に変化が。

もちろん、ヌメ革ではない革でも個性やエイジングは楽しめますが、革の経年変化を楽しみたい方はヌメ革をお勧めします。

Vegetable tanned Leather

ヌメ革のアイテム

エグゼクティブ
EXECTIVE

ビジネスシーンでのハードな使用にも耐える堅牢な作りと、厳選された素材の持つ自然な風合いはそのままに、丁寧な縫製は、永くご愛用いただけるよう熟練の職人が時間と思いを込め、様々な技術が盛り込まれている。

時代を超える “定番” の魅力。

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シューホーン
SHOEHORN

手に馴染みやすい革で作られた靴べらのシリーズ。長く使える上品な仕上がりとなっています。

デザインはシンプルに職人が手間暇かけた逸品です。

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